存在だいすきクラブ

強い気持ち

2017-08-19の日記

たまにでも書く。いつも書きたいけれど、書けるときにしか書けない。

 

友人宅でゲーム制作の合宿に参加していた。昨日からです。合宿を合宿にするものとは何なのだろうとかを考える時間だった。僕はお酒を飲んでいただけだし、やっぱり東京から出ないと合宿じゃないかもしれないとか考えていた。都会の真ん中の私有地で花火をやったけれど、花火をやるために花火をやった感じだ。でもだいたいあらゆるものはそんなものなのかもしれない。僕は人生をやるために人生をやる。花火に飽きて無駄に紙を燃やしたりした。むしゃくしゃした苛立ちや無意味への耐えられなさは燃え尽きない。

 

さて、今日の話、朝は合宿先で起きて、そういえば合宿といえば寝る前のパジャマでのラブトークとかだと思うのだけれど、合宿の適齢期から遠く離れた僕達には無理だった。

 

さて、今日の話。久しぶりに昔のクラスメイトと会ってカレーを食べる。人と人が話すというのは難しいなあと思う。みんな孤独だとか思ったりする。金魚を見る。金魚たちは水槽で押し合いへし合いしながら泳いでいるけれど、寂しがったりするのだろうか、とか考えたところで「淋しい熱帯魚」のイントロが頭の中で鳴りだしてそれどころではなかった。

 

家に帰ってお金のなさをしっかりしっかりと認識する。手を打たないといけない。とにかくVALUに登録した。生きることにはお金が必要で、お金のためには生きることを提供しないといけない。生きることでさえ大変なのに、お金を得ることはさらに大変だ。いや、分からない。僕は生きるのを止めたことがないので、お金を得ることが生きることより簡単かもしれない。

 

だんだんと夏は終わりに近づいていく。雨は一歩一歩確実に秋を呼んでいる。夏をただの夏で終わらせたくないなあ。毎年そう思う。

2017-08-09の日記

ひどく日にちが空いてるなあ。

 

いろいろとイベントがあった。バイト先を変えたりとか、変な雇用関係を結んだりとか、とにかくやる気がなくなってきた。暑さのせいだろうか? そうしよう。

 

救急車が近づいて、遠ざかっていった。書いている今の話です。

 

きょうはとにかく暑かった。北に逃げた台風のせいで東京は37℃とかだった。僕は極力自室にこもって、特に何もしなかった。ご飯を無理に食べ、布団に転がり、ご飯を無理に食べ、布団に転がった。

 

食欲とは何か食べたいものがある状態を指すらしく、その基準でいったらここ五年くらい食欲はない気がする。正確にカウントしても少なくとも3ヶ月くらいは食欲がない。もしかしたら高いものでも常食したら食欲が湧くかもしれない。でもそれって死後の世界が存在するのかどうかくらい僕には関係なく響く。

 

ご飯を食べないと何もできないし、憂鬱も雪だるまのように膨らむ。でもご飯を食べるのはちっとも面白くない行為だ。ひとと話しながらだとまだマシで、食べること自体が嫌いなのだろう。誰かと食べるべきだ。

 

生活に刺激がない。作ろうと思えばできる話だ。山や海に行くとか、人を呼ぶとか、破滅的な動きをするとか、玉川上水に飛び込んでもいいし、割腹自殺を図ってもいいはずで、とにかく怠惰さとカロリーの足りなさが悪い気がする。そうなると「誰か僕を連れ出してくれ」と祈るばかりの置物となって布団の上を転がり続けるはめになる。よくない。

 

幼少期の雨の中のドライブを思い出してばかりいる。冷たいクーラーや、ワイパーが動く音だとか、チュイーンと音が混じるラジオだとか。無責任に眠気を感じていられる状態は幸せを感じていられる気がする。

 

さあ、トイレットペーパーがあと一つしかない。郵便物がある。保険証を見せに行かないといけない。ハンコを押す書類がいくつか。

 

海に上向きでたゆたっても、カツオノエボシとかが怖くてしょうがないような人間になってしまったのだろうか? 安心は無責任の上に思考停止を求めるのか? 不安はそこら中の穴という穴から漏れ出てきて、ガムテープくらいじゃ収まりそうもない。穴を塞ぎにいけば新しい穴を見つけるばかりだ。

 

とにかく日々はすぎて、僕も年をとっていく。まあいいんじゃないか。最近はそう思う。

 

 

2017-07-28の日記

自分を振り返ることは重要だと三回口に出してようやく書く気になってくる日記だ。

 

曇りのち雨。ねっとりとした空気。気温は下がるけれども、とうてい軽やかな気分にはなれない。

 

起きた瞬間に憂鬱だったので、とにかく外に出ようと決め、海に行くことにする。波頭が砕かれる様子は十分にランダムで、ずっと眺めていられるだろう。心を落ち着かせるためにも、と思う。

 

路線バスの運転は心なしか荒い。バス停留所に設けられたステップにはまともに止まらず、そこから道路側に5mくらい離れて止まり、また橋を超えるたびにジェットコースターのような加速度を感じる。身体的な恐怖感はいくぶんか心を和ませるのに役に立つ。

 

夏の雨の雲が広がっている。空の低い位置に灰色の水彩絵の具を溶かしたように雲が溜まる。ゲートブリッジの付け根には整備されたキャンプ場があり、土曜日の人通りは多い。300円を払うと入れるキャンプ場には大勢の親子連れがいて、コールマンのテントが並んでいる。判子を押したような光景が並ぶ。警備員が見つめている。

 

ゲートブリッジは高い。しつらえた、という感じの9階建ての立派なエレベーターがあり、それで橋の上に出れる。警備員に会釈しながら出ると、その瞬間に放送で東京に雷注意報が出たことと橋から退避することの要求が告げられ、苦笑しながら降りる。風が強く、車が通るたびに小刻みに揺れる。おもったより小ささを感じた。幼少期に渡った、最近落ちた橋のほうが大きかったような気がする。

 

幼少期はとにかく圧倒される大きさのものが多かった。体の小ささは世界を偉大に高貴に写す。大人の体と精神には卑小なものが多すぎる。日本一の高さは日本一の高さでしかなく、復元されたと知ってる城に天守に圧倒はされない。いまの僕には崇高さを感じることは難しい。

 

帰り。冷房の強いバスは心地よい。高速で地面を動きながら眠気を感じることができるというのは文明の大きな恩恵だ。僕は車で眠気を感じるのが好きなことを思い出す。でもバスの長距離移動は電車と比べて高い。誰かの助手席に座りたいと思った。

2017-07-28の日記

眠れない時間はただ僕が銀色の砂に沈み込むのを眺めているみたいだった。ひどく心が落ち着かない。ザラメが心の上にくっついて取れないような感覚が残る。

 

何かいけないのか?

 

物事は正確に把握してはならない。幸福に正確さは遠回りを強いる。因果と責任は遠く遠くに投げ置くものだ。

 

その一。昼ごはんが少ない。これは食べる。その二。飲み会。これは参加を断ろう。

 

コミュニティには断絶がある。それらは代表的な思考形式で振り分けられる。一、共感優位と情報優位。二、意思責任と環境責任。あとはまとまっていない。少なくとも繋がりと因果についての断絶があると思う。

 

僕は何をすべきか?

 

空っぽの時間を作らない。何かに集中する。プラモデルとかジグソーパズルとかプログラミングとかそういうものでいい。とにかく思考を空転させない。

 

人間への信頼を取り返す。

 

これは近いコミュニティと触れ合うとよい。もしくは放っておけば定位置に減衰するだろう。

 

カロリーを取る

 

これは難しい。安価なカロリーは食べにくく、食べやすいカロリーは高い。考える必要がある。

 

とにかく無理してコミュニケーションを取ろうとしないほうがよい。コミュニケーションの成立に気をかけない。大学の友人がいいことを言っていて、一発狙いすましたスナイパーライフルを撃つよりマシンガンをめちゃくちゃに撃ったほうがよい。これは、事実はともかくとして、主観的な利を見たときはそうだと思う。そうする。

 

不安の解消

 

厳しい。何に不安を抱いているかわからないからだ。誰かみたいに、それが不安の本質だろう、と言われるのならば、ならば僕の不安を取り除いてみせろ、と返すしかない。問題はここで起こっているのであって、文献の中で起こっているのではない。深呼吸や体を緩ませたりとか、どうにかするしかない。

 

とにかくよくない。ふるふると動いてみたり、地団駄を踏んでみたりとか、そういう動きが増える。心の中のハンドスピナーが止まらない。暑さがわるいのか。そうだと思う。

 

すべてが静かになってほしい。海の底で眠りたい。

2017-07-25の日記

曇り、通り雨が降る。ムシムシした、夏の一日だ。

 

学校にいって、事務手続きをしたり心理学や精神医学の本を読む。あとゲームの哲学と人類学批判みたいな本を借りてきた。

 

昼食で友人と偶然会う。まったく予想できない遭遇だった。日々について話す。

 

猛烈な無に襲われてしまう。空が不安を告げるみたいな感じです。とにかくアルコールを飲んでみるが、陶酔にはいたらない。余計に何かを恐れる感じが増えてしまってよくない。なにか新しいひとと話せばいいのではとライン@というものをやってみるが、特に功を奏す感じはない。やや恐慌といった感じになっていて、この日記も流れやオチを用意する余裕がない。お笑い番組をバックグラウンドに流しながらどうにか手を動かしている。

 

だめだなあ、なにかカッチリしたことを書きたい。不安やつらさをちゃんと言語化したほうがよいはずだけれど、世界との接続がうまくいっていない、とか、世界に入り込めてないとか、その辺りの表現になりそうだ。痛みは接地を取り戻すので、咳が続いたりすると少し良くなるという経験則がある。

 

運動の日々からの急速な離脱がよくなかったのかもしれない。運動は世界への働きかけでもある。世界を操作できる、という実感は一つの解決策への糸口かもしれない。掃除、洗濯、そういうものでもよい。

 

もしくは世界と自分が違うものであることを確信する。ランダム性に見えるものを見つける。他人に見出そうとしているのかもしれない。

 

とにかく新しいことをやってみていこう。アルコール以外に陶酔を。

2017-07-24の日記

久しぶりの休みだ! とにかく白いものを洗った。白いものだけが風に揺れる洗濯物はとても目にいい。洗濯が好きなので部屋着はカラフルにして外に干すときにレインボーになるようにしていたりする。洗濯が生活の中心で、世界の中心なのか?

 

やるべきことを片付ける。英文を書いたりする。いつもと違う言語でものを書こうとするとどうしても単語や概念の輪郭に注意深くなる。Aを選ぶかBを選ぶか、こっちの単語はこれをカバーするけどあっちはこれをカバーしないとか、こういうことに日本語でも敏感でありたいなあ。

 

さいきんはインターネットで揉め事が多い。暑いからだと思っている。僕はかなり気温に原因や責任を押し付けがちだ。人の思考はとても気温に左右されると確信している。つぎにお腹の空き具合。その次に経済状況くらい。他人が怒っているときはそれらを確認する。こちらの心の中に相手への同情を発見できれば仲良くやれることが多い。

 

あとは、のんびりしていた。昼終わりころにひどい落ち込みがきたけれど、エアコンを入れてゆで卵を食べたら治った。気温とカロリーだ。

 

どうにか義務感でこの長さ書けた。みんな仲良くしてほしいなあと寝る前に思っている。今日の僕ブーム。ウナギ、ヒアリ、痴話ニュース。NHKの雑なAI。事実と認識の割り振り。共同体の信任。賞賛と嫉妬との差異。

 

僕は最近あんまり嫉妬が起きなくて、たとえば創作物を見ても「すごい」「すごくない」「なんでこれがウケるのかわからん」が多い。なぜか松本人志には嫉妬が湧きやすいことに今日気付いた。当意即妙みたいなやりとりに嫉妬しやすいっぽい。恥ずかしい。