存在だいすきクラブ

強い気持ち

2017-07-25の日記

曇り、通り雨が降る。ムシムシした、夏の一日だ。

 

学校にいって、事務手続きをしたり心理学や精神医学の本を読む。あとゲームの哲学と人類学批判みたいな本を借りてきた。

 

昼食で友人と偶然会う。まったく予想できない遭遇だった。日々について話す。

 

猛烈な無に襲われてしまう。空が不安を告げるみたいな感じです。とにかくアルコールを飲んでみるが、陶酔にはいたらない。余計に何かを恐れる感じが増えてしまってよくない。なにか新しいひとと話せばいいのではとライン@というものをやってみるが、特に功を奏す感じはない。やや恐慌といった感じになっていて、この日記も流れやオチを用意する余裕がない。お笑い番組をバックグラウンドに流しながらどうにか手を動かしている。

 

だめだなあ、なにかカッチリしたことを書きたい。不安やつらさをちゃんと言語化したほうがよいはずだけれど、世界との接続がうまくいっていない、とか、世界に入り込めてないとか、その辺りの表現になりそうだ。痛みは接地を取り戻すので、咳が続いたりすると少し良くなるという経験則がある。

 

運動の日々からの急速な離脱がよくなかったのかもしれない。運動は世界への働きかけでもある。世界を操作できる、という実感は一つの解決策への糸口かもしれない。掃除、洗濯、そういうものでもよい。

 

もしくは世界と自分が違うものであることを確信する。ランダム性に見えるものを見つける。他人に見出そうとしているのかもしれない。

 

とにかく新しいことをやってみていこう。アルコール以外に陶酔を。

2017-07-24の日記

久しぶりの休みだ! とにかく白いものを洗った。白いものだけが風に揺れる洗濯物はとても目にいい。洗濯が好きなので部屋着はカラフルにして外に干すときにレインボーになるようにしていたりする。洗濯が生活の中心で、世界の中心なのか?

 

やるべきことを片付ける。英文を書いたりする。いつもと違う言語でものを書こうとするとどうしても単語や概念の輪郭に注意深くなる。Aを選ぶかBを選ぶか、こっちの単語はこれをカバーするけどあっちはこれをカバーしないとか、こういうことに日本語でも敏感でありたいなあ。

 

さいきんはインターネットで揉め事が多い。暑いからだと思っている。僕はかなり気温に原因や責任を押し付けがちだ。人の思考はとても気温に左右されると確信している。つぎにお腹の空き具合。その次に経済状況くらい。他人が怒っているときはそれらを確認する。こちらの心の中に相手への同情を発見できれば仲良くやれることが多い。

 

あとは、のんびりしていた。昼終わりころにひどい落ち込みがきたけれど、エアコンを入れてゆで卵を食べたら治った。気温とカロリーだ。

 

どうにか義務感でこの長さ書けた。みんな仲良くしてほしいなあと寝る前に思っている。今日の僕ブーム。ウナギ、ヒアリ、痴話ニュース。NHKの雑なAI。事実と認識の割り振り。共同体の信任。賞賛と嫉妬との差異。

 

僕は最近あんまり嫉妬が起きなくて、たとえば創作物を見ても「すごい」「すごくない」「なんでこれがウケるのかわからん」が多い。なぜか松本人志には嫉妬が湧きやすいことに今日気付いた。当意即妙みたいなやりとりに嫉妬しやすいっぽい。恥ずかしい。

2017-07-23の日記

曇り。少し雨がパラつく。首筋に落ちる雨粒が冷たい。

 

肉体労働をする。肉体を使わない労働があるのか、という話だけれど、全ては程度問題だ。肉体を使った。

 

休憩が多いので考えごとを続けるヒマがある。でも「はい、考えてください」と言われると考えるのは難しい。けっきょくのところお気に入りの曲を脳内で再現してみたり、人生の見通しを建てようとしてみたりといったてんで不思議じゃないことに時間を使う。

 

労働は福祉ではないかとの考えが頭にさっとやってきてさっと過ぎ去る。誰でもできる、生産性のカケラもない労働をやっているとそんな気持ちにもなる。誰かの役に立ちたいとか、時間を潰したいとか、個人のそういう欲を満たすために人間集団ぜんたいが調整して仕事を吐き出してくれる感じだ。

 

穴を掘って埋める作業は、穴を掘ることと穴を埋めることとの時空間の隔たりが大きければ大きいほど意味のあるように思えてくる。ここの隔たりを大きくし続けるために社会がある気がしてくる。

 

意味との連続だとか、意味と触れ合ってる気がするためにどうすればよいか。

 

先日、横須賀の廃墟に行った。人の営みが自然に負ける姿は美しいけれど、いちばん意味との近さを感じたのはスズメバチとの遭遇戦だ。死がチラつくとシャキッとする。ハイデガーはこの辺をそれっぽく言うのがうまい。

 

神秘体験やリアルやファンタジーを諦めた世界で、僕たちはスズメバチやムカデと戦ったり手首を切ったりする。UFOは空から消え、人間たちに爬虫類の陰謀を探す。

 

とにかく日々を進める。洗濯物も溜まっている。憂鬱の気配もない。財布の中身もない。

2017-07-15の日記

暑い日だったようだ。エアコンに逃げていたのでよくわからない。

 

印象的な夢だった。基底現実がつらいときによくあるタイプの夢で、世界には幸福の可能性があるんだよ、と言うタイプの夢。覚めたときがとてもつらい。甘い飴玉の中に針が入ってるような目覚めでした。内容は恥ずかしいので書きません。

 

かなり何もしていない。自分でも驚くほど何もしていないと思う。ご飯を食べた。寝た。シャワーを浴びた。これだけです。あとは寝っ転がって、弱いインターネットをしていた。強いインターネットとは積極的に文字を打ち込んだりキーボードをカタカタやったり知らないウェブを見るようなやつで、弱いインターネットとは意志の力みたいなのがいらないインターネットです。今日は弱かった。

 

エアコンを入れて布団の上をクルクルしていると自分を責める感情が湧いてきます。よくない。運動とか、少なくともラジオ体操をしたいと毎日考えては、やらない。

 

お金がなくなってきたので働く必要がある。何か抜け道がないかといつも探している。たとえば僕の居住スペースでは水は定額制だ。ここから砂漠までパイプを繋げば儲けられる、など。

 

客観的には気軽なんだけれど、やっぱり精神的には重さを感じる。とにかく一つのことに酔っていることが重要だなあと思ってくる。別にそれは寺の周りを何週間もグルグルするとか、そういうことでもいいのだろう。もしくはアルコールで視野を狭めるとか。ひたすら呼吸の仕方に気をつけるとか。

 

そういえば急に精神状態がよくなった。不思議だ。だから剣山みたいな言葉はとうてい出てこない。しかし剣山って言葉はもっとカッコいい物事に取っておいてほしかった言葉だなあ。

 

フェイクとリアルについて考えていた気がする。日本でたぶん最初くらいに大多数にウケたラップソング「DA.YO.NE」がカッコいいじゃん、と気付いたのがきっかけです。フェイクとリアルはもちろんポップと本質?みたいな対立でもあるわけです。

 

少しお酒を飲んだのだけれど今日は意識がなんの取っ掛かりもなく流れていく。難しいことは考えられないけれど落とし穴にハマることもない。日常ってそういう話なのかもしれないし、そのワードで学園生活を夢見る必要もないのかもしれない。

 

なんかオチがない。日記にオチはいらない。

2017-07-12の日記

ひと掬いいくらの人間たちが神輿を担いでいる。彼らは目を交わし合っている。僕はパソコンを再起動している。更新プログラムが走る。彼らが通り過ぎていく。追いかけるか迷う。僕は更新プログラムの終わりを待つ。彼らの声は遠く遠くに過ぎていく。太陽が沈み、また登る。僕は更新されない画面を見ている。

 

僕は高く積まれた本たちを見ている。ホコリが砂のように積もる。そいつらは高くなる気がする。ホコリと砂と雨が落ちてくる中で、僕はずっと望遠鏡を見ている。何か映らないかとハンドルを回し続けている。砂は僕の足を埋めていく。

 

空腹で目が覚め、空腹でまた眠る。汗が布団に染みていく。太陽が出ていては星は見えない。僕はまた眠り、電車が眠るころに起きる。暗すぎても星は見えない。画面はまだアップデートを終えない。

 

風は街を起こすには足りない。熱はパソコンを壊すには足りない。無さえ僕を殺しきれない。

 

スマートに行こう、と彼らが叫んでいる。耳を塞ぐ腕はもうない。彼らが階段を登ってくる。日差しがセミを殺し始める。彼らはドアの前にいる。

 

僕は洗濯物を干す。シワを伸ばし、服で空気を叩いて、広げる。サクランボを摘むように選択バサミではさむ。ここにはクールもスマートもない。手順と湿気だけがある。あとは風と日差し次第だ。洗濯物干しにフェイクもリアルもない。過程と成り行きだけ。僕は雲の動きを見ている。

2017-07-11の日記

洗濯物を干す。冬物や春物をしまうために洗った。布団の上で理由もなく苦しんでいると一日が過ぎてしまう。熱病にでもかかったひとみたいだ。重大な理由はないが、つらい。体を動かしたり、なんらかの使命感を得たりしたほうがよいのだろうと漠然と思う。

 

卵を茹でたりカレーを温めたりしていると生活に必要なことが済まされてしまう。とにかく頻繁に無になる。つねに何か対象に対する思考を持っていることがだいじだろう。なんでもいいのだけれど、小説を読んでもいいし、アニメを見るとか、ゲームをやるとか。とにかく億劫という感じだ。カッコつけなくて言えばめんどくさい。

 

憂鬱が下地となって世界の彩りが落ちていく。青色に統一されていればまだマシで、実際のところは白黒に近づく感じだ。貧血で倒れる前の視界のような日々が続く。続くことはよいことではない。

 

炊飯器のスイッチを入れたり、切ったり、コメを入れたり、そういうことで僕達の人生は終わっていく。とうていボタンを押すことに幸福を見いだせる気はしない。

 

ちょっと硬い心理学の本に「幸福は環境から来るわけではない」ということが書いてある。つらそうな人はだいたいつらそうだし、幸せそうな人はだいたい幸せそうだ。僕達にはだいたい個人設定されたノーマルハピネス度みたいなのがあって、たとえ宝くじを当てようが事故で両足を切断しようがちょっとするとだいたいはノーマルハピネス度くらいに戻るらしい。

 

人間の基本設定をいじりたい気持ちはよく出てくる。僕のアレルギー値は高すぎだし、眠くなる時刻は遅すぎだ。そしてノーマルハピネス度は低い。

 

自分の部屋の八割をゴミ箱に捨てたいなあ、と考えている。のらりくらりやっていったり、人生サーフィンをするのは簡単なことではない。

 

しゃもじに米がこびり付いている。これを落とさなきゃならない。

2017-07-09の日記

リハビリのように少しづつ日記を書いている。日記の形も不定形で、フリースタイルに書いていきたい。今日は晴れと曇りのあいだみたいな天気だった。お昼前に起きて、かんたんなご飯を食べる。どうもお腹が空くのだけれど、ご飯を用意するのがめんどくさくてゴロゴロしていると時計の針がぐるんぐるん回る。スパゲッティをゆでるのもめんどくさい。外に出るのなんて余計にそうだ。

 

お金がないと適当にご飯を済ませようとするのだけれど、適当にご飯を済ませてしまうと動けなくなり、ご飯を済ますこともできなくなってくる。服屋に行く服がない、というのと同じ罠です。どこかで気合いとかが必要になる。世の中はとにかく気合いなのだ。

 

34℃まで上がり、どうしようもなくてエアコンをつけると、即寝てしまった。気温が高くて寝不足らしい。人間が欠陥品なのか、僕が欠陥品なのか、東京が欠陥品なのか、東京に住む決定をした人間たちが欠陥品なのか、たぶん全部だろう。

 

そういえばこの前ブラック企業で有名な場所の一番ヤバイときに営業で生き抜いたひととお話しした。手や体の動きや笑顔の作りかたが洗練されていて、テレビで見る芸人なんかより好感度を取りに来るのがありありとわかる。感情をハックされているような不思議な気分になった。彼らは気合いを語る。

 

自室で寝たりふっと起きたりを繰り返して一日が終わる。精神的には完全に凪といった感じで、波のない太平洋のど真ん中で太陽を見上げながら浮いている感じだ。久しぶりに安定している気がする。低いところでの安定はよくあるけれど、今回は中くらいで安定していて、高校一年生以来だと思う。とにかく風がなければ波もない。焦りがないのは本当に久しぶりだと思う。これをデフォルトにしたい。

 

夜もとくになにもしていない。気合を入れて外でカツ丼を食べて、どこまでも自転車で行きたいような夜風を受けて、帰って動画サイトとかを見て終わった。あとソシャゲをやった。ソシャゲはとても大変だ。

 

とにかく何の波乱もない真夏の中学校のプールみたいな日々が続いている。波も立たなければ、雨が穿つこともない。太陽に照らされて少しづつ蒸発するだけだ。何かしら水を補給しないと枯れるということもある。運動、旅行。まあなんでもいい。生きることには水やりが必要だ。