存在だいすきクラブ

強い気持ち

2017-11-06の日記

とても眠いので急いで日記を書く必要があるそのため google 音声入力を使う まあ背信行為といえば背信行為なのだが 別に誰かに許しを請う必要もないのだろうとは思うが 責任と言うか自責的な感情は まあそんなに簡単には切れないだろうと言う 感じですかね

 

今日は朝早めに起きて 昔肉体労働をした時に借りたものを返しに行った 何と言うか肉体労働は そうだなもし職を失っても肉体労働すればいいという考えをくじくには ちょうど良い労働だったと思う その後 アルバイトに向かった 8時間ほど労働をする

 

まあそんな感じですね お昼は何と言うかもう何も考えたくなかったのでマクドナルドに行きました 今日もあまり本を読めていません 最近は頑張って散歩に行こうと頑張っています お散歩会でもやりますかね それぐらいです

 

体調としましては限りなく眠さが続くというのと あと今日はどうやら秋の花粉が飛んでいたようです 鼻水が出ていました マスクをすると治ったのでおそらく 外が由来のアレルギーでしょう 労働して時間が過ぎていきます

 

今日は極めてにっきっぽい日記でした まあいいんじゃないでしょうか 天気のことを言うの忘れていました 今日は雲ひとつない青空 こんな日には空がどこにでも繋がってると思いますね 今のは皮肉のトーンです 空も高くなっていきます 馬のように肥えていきたい

2017-11-05の日記

google音声入力の面白いミス→「みきは絶対にいかないといけないと思っている」 日記は絶対に書かないといけないと思っている だが今日は結構疲れていると言うか疲れてはいないのだけれど体がだるいので google 音声入力に頼ろうと思う

 

さて今日はだいたい晴れだった まあ日曜日といえば太陽の日であって、毎回これぐらい晴れなきゃならないとは思うのだけど 。今日は特に何もしていない。インスタント焼きそばとかを作って食べた。 後は本を読もうとは思っていたのだけどそれすらできないぐらいに眠かった 。眠かったのでずっと寝ていた。 それぐらいな気がする。 特に書くべきこともない

 

まあ日記というのは今日何があったかというの書くものであって。 そもそも何も起こらなかった時は書くべきではないのかもしれない。フランス革命バスティーユ時のルイの日記にも 「筆記すべきことは特になし」と書いてあったと思う 。まあ本当は狩りの日記であって、今日は特に何も狩っていないという意味だったらしいとか聞いた。

 

それでやっぱり「ぼくのなつやすみ」で朝っぱらからすぐに寝たときの日記を思い出す 。「今日は何もない素晴らしい一日だった」 でも僕はやっぱりジェットコースターみたいな日を望みたいな

 

忘れていたが 今日は abematv で smap のやつをやっていた。 芸能界から追い出されたような形になった3人が再起するようなストーリーだ。 テーマソングはネットやSNSとテレビとの対立を煽っている。やはり立場みたいなものがあると というよりも文脈だが ひとつひとつに感情の振れ幅が大きくなる。僕の生活にもストーリーが求められている。闘士となったり、英雄見習い。RPGの1マスに括り付けられた町人にストーリーはない。王から少額の手切れ金と、棒をもらってこなければならない。

2017-11-04の日記

晴れ。午後に雨が降る。予報はずれ。洗濯物をいそいで取り込む。部屋干しになってしまう。部屋干しの語感から言えば畳干しは畳の中で洗濯物を干す気がする。

 

退院した病院に行き、検査を受ける。血を抜いたり。痛みは起こる場所を目で見ると増えるらしいとどこかの学術書で読んだので全力で目を背ける。カッコつけたがりなので昔から注射器の針の先を思いっきり見つめていたのだけれど、やはり見たくないという直感的な気持ちは正しさの基盤があるらしい。しかし血は黒いなあ。赤い気はしない。

 

尿検査もやる。僕はこれが苦手で、いつも出ない。ペットボトルを買ってきて、飲み干し、出るかと頑張るが出ない。やっとちょっの出たので要求量ギリギリで出して、30分後くらいにトイレに連続で駆け込むことになる。要はバカだ。これをいつもやる。今日はできる気がするから。

 

検査値は標準に収まっていた。つまりある程度は健康を取り戻したということで、もちろんそんな主観的に晴れやかな気持ちになるだとか、人生に光明が差すとか、さあ、仕事を頑張るぞ、みたいなハッピーエンドがやってきてエモーショナルなギターの音が始まるなんてことはなく、なんとなく気怠い気持ちが続く。そうですか、と答え、終わり。

 

しかし少し心の荷物が下りたのは確かだったみたいで、髪でも切るか、という気になる。眉毛もめちゃくちゃほったらかしにしておいたし、まあプロに任せようとおもう。任せた。だんだんと流行りの感覚と幼少期のセンスが思いっきり乖離してきているわけで、どうもピンとこない。そもそもピンとくるって何だよ。何がピンとしているのだろうか。いまだに美少女の判定基準が2000年前後のモーニング娘であることに気づいてたまに愕然とする。

 

世の中にはたくさんの髪を切る場所がある。僕の出身地はそこそこの田舎で、町内に物を食べる場所はなかったのだけれど、歯医者と髪切りやさんは複数あった。まあ自分ではできないことになっている2つだからだろう。それにしても髪を切る場所は多い。人間が髪が伸びる生物でなければ失業率はいまより高かっただろうなんておもうけれど、人間は差異化チャンスを見つけるのがうまいから、そうでもないのだろう。その歴史には爪の七三分けとかがあるかもしれない。

 

お酒を飲もうと決めていた。そして泥酔しようと。ここのところ病気・入院・治療でずっと飲んでいなかったからだ。一口目、たいへんおいしくない。正確には飲みづらい。こんなものを飲むひとはどこでも生きていけるだろうよ。そして酔わない。お酒に強くなったというよりも、入院で副次的に肝機能が回復したのだろう。入院はひとを健康にする。すごい。

 

それで泥酔できていない。アルコールはまずいし酔わないしで、だ。もっと感情的な日記を酔って書くつもりだったのだけれど、感情的な気持ちは乗らない。

 

ブログの書きかたが分からないので検索したら「感情を入れよう」と書いてあった。無感動。だるさ。うすもやのような好奇心。うーん、まあ適当にやる。

 

そうだなあ、世界に怒りが湧いてこない。だからやる気も学問する気も起きないのだろう。論争を見ても「やってるなあ」「仮定と目的がずれてる」くらいしか思わない感じだ。新奇なものはだいたいクソリプからやってくると偉大とされる哲学書たちは示しているけれど、怒りやすくなるようにすればいいのかもしれない。カフェインを入れまくるとか。

 

今日はわりと日記らしい内容だった。文章は面白くないだろうけれど気を張らないでかけている。今日はまあどうにかなるさの日。助けてと言いたくても言えない日が来なけりゃいいけどねえ。助けてと言えばいいのでは。調子がいいときはそう思えるんだけどね。

2017-11-03の日記

晴れ。小学生が水彩絵の具で塗ったような空だ。飛行機がビルの隙間に見えるが、飛ぶというよりも浮いているように見える。

 

昼からバイトに行く。きわめて追い詰められた気分だ。バイトは別にわるいことはない。むしろ自己効力感を生むのでよい気がする。それよりも、もっと根本的な、世界との触れ合い方の問題というか、自分では切り替えることのできない色付きシートを目に貼られているような感じで調子がわるい。

 

入院、というか病んだことで体質が変わっているような気がする。乳製品が大丈夫になったようだ。コーヒー牛乳でお腹を壊さない。同時に割り算が苦手になっている気がする。とにかく人間というか環境が理性でコントロールできるとは考えるべきではない。ウイルスや点滴一本が性格や能力を変えても不思議ではない。寒波が飢饉を生み、大戦を育て、見返すと思想が見えるように。とにかく自由意志や人格の仮定を仮定以上に捉えるべきではない。そんなことを言っていると全ては仮定だろうと言われてしまうのだけれど。

 

僕はずっとずっと一人で生きていくと思ってるよ、という気分で街を歩く。寿司なんて食べようかとか自暴自棄の気分だ。自暴自棄にならないと寿司を食べられない身分を卒業したい。自暴自棄になると途端に街中に飾られた服なんかが光りだす。資本主義は自暴自棄の社会だ。15万円を身にまとえば気分も晴れるだろう。それを僕は2週間の三食看護師付きのベッドに使った。あるいは温泉に使ったほうが有意義だったかもしれない。有意義性は死の前で無力だ。

 

さて、結局のところ牛丼屋で晩御飯はすませた。食べたというより済ませたが適切です。僕は人生を少しずつ済ませていく。人生はトロフィーコンプリートでもないし、ミッションクリアでも、お使いクエストの集合体でもないと誰かは言うけれど、それであったほうが五倍くらいはらくだっただろう。デバッグ者たちは今日もまた人生の壁がすり抜けられないかと壁に向かって幅跳びを繰り返している。僕は座り込んでそれに加わろうかどうしようか迷っている。ステージタイマーは少しづつ回り、時間切れがあったことに気づくだろう。僕はまだ迷っている。

 

さて、どうしようか。やる気を出す同盟などを組みたい。喫茶店に集まってやる気を出すだとか、川を見に行ってやる気を出すだとか、とにかくやる気を出す。もしくは人生を投げわたす。高い城の男に出てきたように占いに投げるだとか、あるいは神社のおみくじだとか、それに従うわけだ。自らの脳みそは十分な確率発生器ではない。この宇宙がどうなのかは知らない。ミクロにはそうだろうが。

 

なにか人生に衝撃がやってくることを日々期待している。隣の空き地から野球ボールが飛んできて窓を割ってしまうような。突然の入院は別に僕に驚きをもたらさなかった。まあこういう語りに対する返答はだいたい決まっているだろう。まずお前からやれ。空き地の隣で日々飛んでくるボールを期待するのではなく、僕が空き地から隣の家にボールを打ち込まないといけないのだ。そんなことは生まれた瞬間から分かっている。祈らないことが重要なのだ。

2017-11-02の日記

子です インターネットの止めることでプライド以外の何が満たされるのでしょうか 確かに見苦しい点はを見なくて済むかもしれませんが だからと言って痛みが 一人きりの感覚だとか もしくは世界が僕を必要としているというような卒の強迫的な考えそれが一切経猿というわけではありません むしろ南極に置き去りにされた犬 そのような吹雪が吹きすさぶ氷上の上で 僕はただ一人冷たさに見送られて いや犬は確かにしていたんですよね 最近はとても眠い たぶん病気の後遺症だとかもしくは入院の後遺症かもしれませんとにかくこれが自然な状態だと考える辛いような眠さです しかしながら我々は常に意識を忘れる動物であってまあ例えば春は眠いだとかもしくは夏は暑くて冬は冷たいだということをよく忘れがちです例えばどうでしょうか 僕たちは夏の間には t シャツ一枚だとかそういった状態で外を出歩く起きですが冬になるとこれは到底信じられません一つは寒さの問題もう一つは 何と言うか肌を見せつけると言った 問題からです しかしながら我々はその気づきに対して毎回毎年それに気付いては毎年それを忘れます 我々の記憶は1年持つことはありません むしろ1年ごとに生まれ変わっていると妻にいたくなるような気持ちです 今日僕は何をしたかというと特に何もしていないというのが正しいところですご飯を食べて寝てまたご飯を食べました バイトは木曜日は休みにしています 川の流れのように緩やかな気持ちでいたい というのが まあアイドル経営者として有名な人の作詞であるわけですが 例えば一つの日 表現の天才というのはどちらかと言うとその時さで10歳だというわけではなく むしろを一番多くの大衆に 共感をもたらす もしかうけるというような状態で天才だということになるわけです それはむしろ 最も大きな体臭といったような状態であって我々が理解するような天才それは例えば 一人でブラウン運動相対性理論思いつくような愛したいんだとか witten のようなそのようなものではありません とは言ったもののよく考えてみると数学や物理学における卓越性や先端性における天才というものも もし彼らがいなかったとしても 多分同じような時間に誰かが考えてきただろうもしくは世界に目を伸ばしてみると同様同じことを考えていた人がいたということはよくある話です それを考えるとそもそもを天才だと評価されるくらいの卓越性というものは単に 体臭の中の 多くのものと共通を施設にほんのちょっとだけ何かを新しく進めているというあたりが適当なのでしょう 思うに後から発見される天才というものは大抵現役時代はフグのものです もしくはおそらく大量の天才というものは誰からも発見されずにそのまま歴史の闇の中に消えているというのが正しいのでしょう 最近極めて不安定なのはむしろ目的の結了というものからくるものなって 何かしらの ひとつの人生に対する目的だと言うかただ生きるというものではない目的を早めに考えるというのがひとつの手であると思います 学問に対して現在極めてやる気がないために むしろ創造的なものだとかあるいは 理数系のものがいいかもしれません 昔の人はよく言っていますが 例えば数学だとかもしくは5アクラとかは 抑うつ状態の改善には良いということがよく言われています 水からの働きかけがフィードバックとして帰ってくる自己効力感の向上が見込まれるような 一つの作業というものは確かに良いのかもしれません それは例えば筋トレでさらに多くの大きな物を重いものを あげられるようになったとかそのような目に見えるような 何かしらの成長を感じさせるもの それに早く参入すべきなのです 近くのカテゴリの用語を使うならば 何かしらにコミットメントするということはやはり重要なのでしょう 昔の流行りならばそれはアンガージュマンと呼ばれていたかもしれません やはり思想の力というものが失われた結果どちらかと言うと経済やビジネスといったものがより強く出てきたように感じなくはありませんが 我々の共通用語としてやはりお金というものは極めて力を持っている物であってその中の一つとしてビジネスが つまり我々の共通の話題としてビジネスがやっとのことで残ったということかもしれません 音楽についての興味はテレビやラジオの力がなくなり ネットの軍刀の力となって 話の合うということが難しくなった時に ただ我々が無理やり聞かせられる音楽というものが バニラの移動宣伝トラックしかなくバニラでしかグループを感じられないというような状態となったのと同じく 我々が 協同的に話の分かる話題というものは お金の話題 ビジネスの話題ということだ その昔東大生たちが構造と力やノルウェイの森を持ってみんなキャンパスを歩いていたという話がいい伝えられる 今となっては信じられないような話だが 東大で一番売れた本としてファスト&スローなどが挙げられる昨今もしかしたら20年後には あの頃の東大生はみんなファスト&スロー持ってキャンパスを闊歩していたと言われるのだろうか 哲学や思想の力は完全に落ちているのだけれど その中でむしろ まあちょっと前は脳科学だとか集団的な心理学だとかそういったものの方が 断然心理性を与えるものとして 我々の前に屹立しているわけだ そろそろ持ってきたわけだがこれはブログでやる必要があるのだろうか もう少し例えば何かライブストリーミングなどの 声が通るようなもので喋った方がまだ早いような気がするが とにかくこのように喋ったものを一つ構造化して読みやすいように 紙面の上に表現させるマシン面じゃなくてもインターネットの画面に表現させるというものが大変面倒くさい 人間の集中力は途切れやすいので何と言うかメモリに乗るぐらいの文というものを心がけなければならないわけだがそれは書く時には考えることができるがこのように話しながらそれを考えるということは大変難しい むしろを極めて話が飛びがちななんというか観念が連合していると言うかもしくは何らかの症状であるだと言われるような そのような状態になりつつあるというのが問題である むしろ弾き語りとるいされるような何かしらのライブパフォーマンスの一つであるという風に考えた方がいいだろう 考える速度と同じように物を書きたいわけだが それは攻殻機動隊の世界のような何かしら脳にナノデバイスをぶちまけるだとか もしくは指をかばっと終わって超高速でタイピングをするだとか そのようなことをしないと無理なような気がする とにかく日記だったはずなわけだが最近はどうだろうか学園祭のシーズンらしいということが街を見ると分かってくる 土日になどによるものが多いらしく 言葉の意味通り学園祭の前日だったりするのだろう 就職活動でクリエイティブ系の会社を回った時は毎日学園祭の前日のようなという言葉を聞かれた まあその言葉を言われたら大体のオタクはビューティフルドリーマーだとかを思い出すと思うんだけど 戦車を会社の中に持ち込むだとか もしくは 一発演説をぶつだとかそういった自由な領域が確保されているとは考え難い 何と言うかランダム性だとか言うか日常のつまらないようなものに対する一つの擦り切れや10月に対して戦うためには 例えば他人と会ってなんだかのランダム性だとかもしくは約束の力によって 世界を一つの 目的やポイントに集中させる吸収させる 統合し直すと言った試みが重要だと思う とても悲しい話だがやはり一つは即応性が重要だということだ 僕もやはり人間なので 何と言うか 世界をかき乱すような何かしらのものを あとひとつ輸入させる必要がある とはいってもそれを見つけることはなかなか難しい夏ぐらいから結構頑張ってきたわけだがまが特に世界が変わるというようなことが特にない 関西の擦り切れたかとか脳の可塑性が可能によって失われてきたとかそういったことは信じたくはないがひとつ過ごしてあるかもしれない 狩猟採集時代に適応された我々の人生のライフサイクルというものは むしろこれぐらいで学ぶことをやめるようにうまく考えられているのかもしれない 何かを学ぶということはやはりそれだけでコストがいるというものであって むしろその危機的な状況のスイッチを押すためには何かに乗れているだとか純粋な欠乏もしくは環境の劇的な変化が必要となるような気がするつまりシャキッとするというような状態な 単身言葉の通じないような国にいくらとか 若しくは何かをしなければ殺されると言ったような状態に身を置くことが必要なのかもしれない それは大変苦しいと思うが そしてそれをやりだすというひとつの決心というものも難しいのでやはり気づいたら急に国が滅んでないかなだとかそのような 意味のない空想しがちである ミッキーというよりもやはり独演会のような形になってきてしまった

 

抑うつ がひどくなってきた一人でスマホに向かってよくわからないことを言っている姿は教務で滑稽であるしま特に無意味であるというような気持ちが宝が出てきた自分を声を聞いていると何かしお経を唱えている寺の坊主のような気がしてくる 

 

まあご飯を食べてゆっくりお風呂にでも使って暖かくして寝るしかないのだろう我々の悩みだとか生き方だとかどんどん笑えるものはそうであって だから我々は当時だとか温泉だとかにも行くのだろう 結局人間の生理的機能なんてそういうものなんだろう 精神というものは極めて 我々の妄想なのだ

 

毎日助けてくれというような気持ちで眠る もちろん強がりを含めてた エアコンとカロリーが回復するようなボクらの抑うつで 崇高な言葉など何も言えないだろう 理性が走り回るママに原因を 形而上学的なものに求めるしかない それは一周かっこいいかもしれないが 単にクールなだけであって 問題解決には遠いのだろう 人々の熱狂するものは 大体そういうものである

2017-11-01の日記

日記を書くという行為で最もめんどくさいのは文字を打ち込むということで である しかしながら google はこのように言葉で打ち込むということを開発した なかなか精度も良いしたがってこれによって自動引きが可能であるということである 例えばフロイトなどが経営者を雇って延々とそいつに欠かせていたという話もあるし タイプライターというものはもういらなくなった高校コングでは しかしながらどちらかと言うと言葉を選んで喋るということをしないといけないのでこれもまた難しいと思う 昨日は本を3冊買った一つは小説一つは何と言うか圧力的な覚悟でありもうひとつハコてんだ もう一つは来てんな それと最近は音楽の興味をもう一度やっている 少しずつわかってきたがやはり何と言うか一般的に使用頻度が少ないで単語がなかなか変換されづらい そして僕のいつもの語りというのは僕は書くことよりもよほどさらに文章的であることがわかる我々は文語的に喋るのであって これは何と言うか まあ症候と言うか湿布シンプトムと言うかそういった気がする ひとつ気がかりなのは僕の部屋に今腐りそうなみかんがみっつあるということで転びつか食べらない食べないといけないと思うがそこそこを美味しくないということはもうすでにわかっているものであるものそこそこ美味しくないというものを消費しなければならないということを諦めてまあなんと言うかめんどくさいと言う彼はひとつの事象的な行為だってのにやりたくないなと思っていた 自傷的な行為というものが自傷的な行為という風に変えられるというのは何とかしさ的な気がするが 例えば google のこの変換はとてもすごいものだってたとえば表象的実在性といった専門的用語も悪い時に変換してくれる 例えばどうだろうか超越論的弁証論とかを変換してくれるのだろうか2巻しました うんそうなの そういえばアマゾンプライムビデオに魔界転生があったと思うんだけど そういえば最近甲賀忍法帖を読み直した 人間の想像力というのはやはり限られたもので我々はキマイラのように一つ一つに何かを結合させたり connect をさせたりすることでしか新しい生き物ものを見つけることはできないのだろう 事象と言えば人の自称に加担して人を殴ったことがあるが あれはどちらかでと自分が目的ではなく手段になったという感じでまあなんと言うか 主体性が失われるというのはひとつのかいらくではあると思う この辺はバター入れとかに詳しい人に聞いてみたいが 人間が物的な存在になるということは ひとつの手っ取り早い方法というものが暴力の総観光になるということであって そういえば忘れてきて我がこれはただの日記であった日記的なことを言おうと思う 確か昨日は晴れだった 少し寒い ジャケットやパーカー一枚だと少し物足りないと言うか僕も守ってくれないならというような天気で セーターが欲しいなと思うような一日だった お昼ご飯は寒いを食べた気がする サブウェイです その後バイトをした 治安の悪い街を通ったところ どうやらアジア系っぽい人に want money want money と聞かれたので 僕は yes と言ってその場を離れた 確かにお金は欲しい 皆お金の欲しがっているだろう 人々は皆お金に縛られておりその意味で皆自由ではないと思われるがそもそも生活を続けるということによって それは生じたのであり例えば狩猟採集生活であったとしてもご飯を取りに行かなきゃなったとか他の人々と一緒に暮らさなきゃなーとかそういうものがあるわけで まあとにかくシート生活をやめるというものが遠いであるというふうに考えてしまうようなそういったよくあるような日々だなぁという一日が そして塩そばの有名店に行った 水着の初音ミクのフィギュアが飾られておりまー大丈夫かなと思ってご飯を食べていたがボーカロイドの cd と葛藤を僕のよく知らないアイドルと思われる曲がずっと流れており まあそういう趣味かなという感じもある近くにいかつい髪に仕上げてくれる美容院があって多分主人もそこで切ってるのだろういかつい感じの顔なのだが しかし気弱な声だった まあ我々は そういった感じだ何事も 彼に何か言うことあるだろうかとりあえず他の人はあまり見ないような柄のパーカーを着たいという気持ちがあって 何か他の人がデザインしたようなインターネットっぽいパーカーが欲しいなあというのを考えている あとそれぐらいだろうか それ以外特に考えたことはないような気がする とにかくを他の人にもよく忠告されているがインターネットを介しても実証を辞めたいということを考えている 例えば自分は面白いとは全く思っていないが受けそうなツイートをやってみてまあそこそこ伸びたところで消すと言ったり こういった行動は他の人のものを何と言うか死んだよ 僕から他の人に対する信頼というものを失わせるつまり人間一般に対する信頼度というものを著しく損なわせる行為やって まあ明らかに止めた方が良い 世界との設置で有用なのはどちらかというと 世界全般に対する診断や振興であって とにかく今は何と言うか信頼するとか信じるといったものが 有用なわけだ 神を試してはならないしまあそんな感じで世界お試しはならないということだろう それぐらいかな とにかく日記をこのように書いてみる 日記は続けることがひとつの意味がある そして一回生と言うか一つの子編集されていないデータを残すというのも一つの意味があると思う確かに解像度が下がったりもしくは成立性がある日下がったりするかもしれないが この編集を加えない人流れの語りというものはある程度面白みを産むかもしれない まあ整理されていない情報を受け止めるということが そのストレスに対して意味があるものだとはなかなか考えられないが 成文化された自分の考えというものを認めなかったソクラテスはテープレコーダーを認めるだろうか

2017-10-31の日記

晴れ。台風のあとはこういう日が続く。空からの光は皮膚に少し痛みを残し、自分が生きているんだなあと気づくには十分だ。

 

夢。肉親に「こっちに来てはダメだ」と叫ばれる。溶岩のイメージ。

 

コンビニのケーキを食べ、コーヒーを飲んで朝を始めた。丁寧な暮らしだ。ひとつひとつの動きで甲子園に出れるように洗練させたい。丁寧な暮らし国には様々な甲子園があって、寝起き甲子園とか、うがい甲子園とか、フライパンを使ったあとにすぐ洗う甲子園とか、ボディーソープのボトルのポンプの先に化物をつくらない甲子園とかがあるわけだ。それぞれに甲子園選手がいる。彼らは地方大会を勝ち上がっている。まずは靴のかかとを踏み潰さない甲子園の県予選で勝つようになりたい。一挙手一投足を甲子園化していくわけだ。ゲーミフィケーション? 横文字は分からない。このブログもだいたい横文字です。

 

昼に労働をする。怒られない頭脳労働なのでザワザワした心を落ち着かせる必要もない。ちょっと言いたいことがあるとすれば、窓の外を見たいなあとおもう。仕事場の窓は隣のビルの外壁を映している。

 

窓の外がそのまま窓の外を映す必要があるのだろうか。アルプスとか、グランドキャニオンとか、名も知らない地方の港町だとか、雨粒が打ち付ける住宅地とか、そういうものを選ぶひとになりたい。環境映像ジョッキーだ。ラジオDJのように曲間でしゃべる必要もない。

 

なぜか席が一人一人セパレートになっていて無言で注文できる例のラーメン屋に行く。自暴自棄だ。店員も無言だったらいいのになあ、観光客向けの90年代J-POPの三味線・琴アレンジがアンビエントならいいのになあ、などおもう。富士そばの社長は好きだから演歌を流し続ける。僕の脳にスピーカーはない。

 

帰る。マンボNo.5をかけながら映像を戻したり先送りしたりするのを繰り返す演出は誰が考えたのか気になる。どうやら80年代のドッキリ番組らしいというのがすぐ出てくる情報だ。もちろん信頼度はそれほど高くないけれど、僕以外にもマンボNo.5の演出にこだわる人間がいることに少し安心する。

 

昼くらいから人生の期待値の底が抜けた感じがしていて、そのせいでどんな行為をやってもポジティブになるという好ましい状態になっている。あと10秒でピストルで殺される囚人を考えてみてほしい。ほぼどうせ死ぬ。それならば噛み付くとか、処刑人を笑わせるようジョークを投げるとか、そういう無謀な挑戦でもやってみる価値を考えて動かせる。

 

(後記:ここで寝落ちしたのでこれで投稿します)