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存在だいすきクラブ

強い気持ち

2017/02/14の日記

日記

晴れ。冬の晴れ。少し寒い。

 

夢のメモを忘れる。

 

朝の四時くらいに書いてしまっている。よくない。

 

別の会社へ。朝の通勤ラッシュに巻き込まれる。満員電車だ。みなが虚ろな顔をして、ことが終わるのをまっている。ある程度の混雑さを超えるとスマホを見ることもできないので、みんな手を合わせるような顔をするしかない。絞首刑は縄を首にかけると床が開くタイプのものが多いので、死刑執行場へは階段を上ることになるのだろうが、そういう顔をして階段を上るのだろう。あきらめと苛立ちと恐怖。

 

会社は合わなかった。ひとや風土が合わない。内容をだらだら書いたけれど面白くないグチになったので消した。とにかく、独自性とスピード感と数字とが求められる場所でないと厳しいようだ。僕が10分で出した提案が否定され、数時間議論して同じ提案にまとまる、というのはつらい。多人数のプライドと感情の折衝ができないといけない。

 

小学生に好きだった本のことを思い出した。一つはタイトルを忘れたのだけれど、台風でバラックだか小さい住居だかがぶっ壊れるなかで周りの住民たちと小学生が「雨ニモ負ケテ風ニモ負ケテ 丈夫ナ体ヲモタズ……」と大声で叫ぶやつ。もう一つは「一たす一は二にならない」というやつ。こちらは中身は本当につまらなかったのだけれど、タイトルにずっとひかれている。

 

思うと小学生の昔から嗜好が変わっていない。人間たちが圧倒的な力の前に自分たちの無力さをつらくも認めながら、それと戦わなければならないことを自覚するっきゃない話。もしくは権威や決まりごとに反対してみせる話。そんなものばっかり好きな気がする。

 

寝て途中で起きてしまったので、だんだんと落ち込んだ気分になってきている。よくない。自殺が圧倒的に正解なのだけれど、死んではいけない。死んではいけないという根拠はない。根拠がないというのがつらい。根拠や理由を探してしまうというのは一つの病だ。どこかしらで僕たちは根拠なしの肯定を求められる。そこで、はい、と言えるかが勝負なのだけれど、生まれた瞬間にそれができるのかは項目ごとに決まっているという気がする。僕は生や存在にはそれができないが、美とたのしさにはできる。しあわせは抽象的すぎてよくわからないけど、重要な気がする。愛、は不明。地位と名誉にはできない。美味しさ、にもできない。

 

人生に勝利したいとよく考える。勝ち筋はあるか。よくわからない。定石として金、時間、家族などが置かれてきた。不幸せなひとは本を書くが、しあわせなひとは何も残さない。だから勝ちパターンを見つけるのはむずかしい。もしかしたら誰もしあわせにはなってなくて、そのせいでしあわせなひとの文献がないのかもしれないけれど、それは考えないでいたい。

 

意味や価値や根拠や理由を考えないようにすることが、一つの道かもしれない。どこに着く道なのか? わからない。