存在だいすきクラブ

強い気持ち

2017-02-18の日記

くもり。昨日に比べるとめっきり冷え込んだけれど、冬の寒さではない。昼過ぎから雨が降りそうな暗い雲がかかる。

 

夢。おぼえていない。起きたらメモをとろう。

 

久しぶりの丸一日休み。とりあえず洗濯をする。街の本屋にいって文庫本を二冊買う。一年でブックオフに100円で並ぶ新書を何冊か立ち読み。とにかくひとが多かった。春に近いから? 喫茶店に入ろうとするけれど、どこも満席だったので、しょうがなく目的地もなく散歩する。

 

歓楽街をただただ歩く。雲が暗い。風俗店の並ぶ通りを黙々と歩いていると、清潔だけども享楽的な感じの匂いがしてくる。人を引きつけるための香水みたいなの。出身県の風俗街は石けんの匂いがしていたことを思い出す。

 

風俗街の雰囲気が好きだ。お兄さん達が職質を受けていたり、車を警官に探られていたりする。歩くひとたちは何かしら後ろめたいような雰囲気を出す。派手な格好のひとたちがそこを通るためだけに通る。宇宙人にホモサピエンスの形態のわかる写真を一枚取ってこいと言われれば風俗街の写真を提出するだろう。

 

帰って映画を見る。『ウルフ・オブ・ウォールストリート』最近『沈黙』を見たのにこれを見ていないことを思い出したから。享楽的だなあ、野村証券エントリーシート出すか、みたいなことを考えていた。もちろん出さない。

 

就活のいやなところは何を見ても就活を思い出すからだ。すべての事物が就活にとってどうか、に見えてくる。花を見れば「好きな花は?」なんて質問がきたらどうしよう? なんて。ヒマワリとかが無難だろうなあ、つねに太陽を向こうとする、僕も御社のために…… ダメだなあ。御社のためにご飯を食べ、御社のためにオシッコをし、御社のために寝るのだ。

 

生存のためにご飯を食べ、生存のためにオシッコをし、生存のために寝ているのはその通りだ。自由とは「~のため」という何かを選べることではなかったのか。それならば何のためでもなく行動をしたいなあ、と考えてきた。ランダムに動くこと。目的をなくすこと。機械は自分が機械であることを自覚するか? 受動と能動は一致するか? さあ。難しいことは考えないようにするのがいろいろなもののコツだ。水車が発明されるまでに人々は代替されるべき労働をやっていたわけだけれど、水車を発明するために考えようとした人間たちはことごとく人生をうまくやっていけなかっただろう。考えることは金持ちだけに許された特権だ。

 

配られたカードで勝負するしかないというのはショーペンハウアーだかスヌーピーだかの名言だろうけれど、僕たちは配られたカードの絵柄を見ることができない。恐る恐るカードを出して、勝ったか負けたかすらよくわからない。場の連中たちも誰が勝ってるかはわからない。全てが雰囲気で決まる。だいたい後付けとして。一番最初にオレが勝ったのだと言うこと、とオレが勝ったのだと信じること。この二つくらいしかチップスはないだろう。

 

ところで僕は勝っているか? 何をすれば勝ちなのか? チンギス・ハンは勝ったか? 徳川家康は勝ったか? 釈迦は勝ったか? バッハは勝ったか? ボードレールは勝ったか? ビルゲイツは勝ったか? 名も知らない石油王たちは勝っているのか? わからない。信仰が必要なのだろう。僕は勝っている。それで、何に?