存在だいすきクラブ

強い気持ち

2017-02-19の日記

晴れ。ふつうの日。

 

夢:イギリス王室の幼い兄弟の接待をする。山の上の別荘で首脳会談をするので、その間の世話だ。兄のように扱われない弟が白けているので、兄を恨め、みたいなことを言う。ビールを口に含んで、泡を鏡に吹き出す、みたいなことを教える。

 

普通だ…… 家にいるのもどうなんだと思い、昼過ぎにソバを食べながら外へ。何もすることがない。豊洲新市場でも見に行くかと電車に乗るが、途中でやる気がなくなり、いろんな電車を乗り継いで出発の隣駅まで戻る。適当な喫茶店に入って本を適当に読む。キリスト教徒の本っぽい。無についてよく書いてある。神と無と人生についての本だ。適している。

 

無について、どうだろう。空虚感の言い換えか。英語ではnothingnessとvoidとか単語が変わるけれど。わからない。価値や意味を見つけられない感じ。充実のなかの空虚。砂漠で水を探すような無ではなくて、森のなかで木を探すような、バカバカしい感覚だろう。空気に酸素を肉眼で探すとか、それに近いかもしれない。

 

すべてがバーコードに見える、これが近い表現かもしれない。ぱっと見では何も分からない何かの羅列なのだけれど、専門の機械を使えばそれが何であるのかがわかり、僕は機械を持っていない。みんなは持っているっぽい。それでどうしようと考えて、できるだけみんなの動きをマネしてみる。彼らが喜んだものには喜んでみせるし、悲しんだものには悲しんでみせる。でもなんで喜んだり、悲しんだりしているかはわからない。僕にはバーコードにしか見えないそれは、彼らにとって大切な何かなのかもしれない。

 

みんなが喜んだり悲しんだりすることは、たまに魔法に見える。なにもないところから感情を生み出しているような気がする。それは砂漠から杖で水を引き出すようにも見える。だから魔法だ。僕も魔法を使いたい。飲み会の席で無になったり、祭りの舞台に無になったりしたくない。みんなのように感情を無から引き出したい。ただの真似事ではなくて。

 

偽物の人間という感覚。人形が魔法で人間になる話はよくある。だいたい冒険だったり、努力、目標の達成がそれに求められるけれど、人生は寓話ではない気がする。バッドエンドを迎えたあともダラダラと続き、妥協により終わる。日々はそのように進む。僕はひたすら耕すしかない。