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存在だいすきクラブ

強い気持ち

2017-02-20の日記

日記

曇りのち雨。そこそこ強く降る。北からの風が強かった。

 

夢はまたメモできなかった。アラームを止めた瞬間に書くようにクセをつけないといけない。画家のダリはスプーンを咥えて眠り、スプーンが洗面器に落ちた音で起きてすぐさま構想を練ったとか聞くけれど、そういう気合いが必要だ。

 

朝の標準的な時間に起きる。目覚ましが鳴る一分前くらいだからすごい。だらだらして、ソバを食べながら労働へ。家を出てほんのちょっとのところで大学生カップルが「オレ誕生日まだなんだけどさ、親がマンション買ってくれるってさ、だから一緒に住もう」と会話をしながら横断歩道を渡っていて、労働意欲がほとんどゼロになる。そうか~、そういうこともあるよな~、人生は長いし、人それぞれだもんな~、といいながらフードを深めにかぶり、カップルに聞かせるくらい大きく深い深いため息。とてもとても強い向かい風が目に小さなゴミを運ぶし、ほんとうに何もしたくなくなった。

 

口笛を吹きながら駅まで歩き、一回帰ろうと少し逆向きに歩いて、また気持ちを決めて駅へ。どう無心になろうとしても頭の中で「労働とは? 人生とは? 生まれとは? 努力とは? 平等とは?」の大議論が始まってしまう。まああのセリフを聞いた後じゃなあ。配られたカードがフルハウスくらいのときもあるだろう。初めのカードが良すぎると、思い切って交換、なんてできないこともある。一長一短だろう。そう思い込む。思い込む。

 

労働して、帰る。豆腐と肉を食べる。そういえば小沢健二が新譜を発表するとかのウワサの日だった。なんかよくわからないリアルタイムチャットインタビューがあり、そうらしい。怖くて去年のライブには行けなかった。年老いたジュリーが雑な政権批判をやっているように、小沢健二もありきたりなグローバル資本主義経済批判をやり、才能の枯れた歌を歌っていたからだけれど、去年のライブは違っていたかもしれない。わからない。「いちごが染まる」「時間軸を曲げて」で好きな部分は一カ所もなかった。僕の感性が死んでいるかもしれないし、歌がダメなのかもしれない。ありきたりな悲哀を言うしかできない。

 

ミュージシャンやアーティスト、作家について話すときの悪い癖で、「ここで自殺してれば天才だった」というラインを探る、というものがある。たとえば小沢健二なら「ある光」を出したタイミング、大槻ケンヂなら「サンフランシスコ10イヤーズ・ アフター」を出したタイミング。人生の損切りの話みたいだ。このまえ僕のTwitterアカウントの全盛期が語られていて、自分についてやられるのは初めてだなあと思った。まだ27でもないし、DON'T TRUST OVER THIRTYってわけでもないが、日に日に誠実さがなくなっていくのはほんとうに感じているし、誠実さがまだたくさん残ってればブログなんて書けなかっただろう。

 

ただ、チャットインタビューで「存在することに謝ってる」というのはそうだと思ったなあ、と追記しとく。

 

誠実さと臆病を取り違えないように、軽やかに。深刻さを振り返らないで。歩いていけばどうにかなるだろう。