存在だいすきクラブ

強い気持ち

2017-06-23の日記

10時くらいに起きた。遮光カーテンを引いてから自動的に起きるという感覚はない。僕が起きようとすると、起きるといった感じだ。

 

安い雑なパンを人切れ食べて、何もしたくないなあと確信する。カーテンを開く。街はすでに始まっている。

 

服がないが、勢いで蕎麦屋へいく。油ものがつらい。食べたいものがなくなってくる気もするけれど、高いものは食べやすいということも知っている。とにかくお金が必要なのだ。

 

何もしたくないので、パソコンを見つめていたが、パソコンも見つめていたくない。部屋にいたくない気がするので、気も進まないけれど外に出る。とにかく北に歩く。

 

東京は都会な気がするし、無限に街が続く気がするけれど、実はそうでもない。駅と駅の間とか、駅から遠い、賃貸が安そうな場所にいくと90年代で止まった街がそこそこある。誰もいない商店街。色落ちした昔のゲームのポスター。一定のリズムを鳴らす工場。遠くから聞こえてくる安物のラジオの音。老人と小学生だけが見える。出身地の昔を思い出す。

 

大学や大規模な学園の周りになると途端に漂白された感じがする。整った道幅、切り取られた芝生とか。その周辺だけ身なりの整った人間が歩いている。とにかく格差社会だなあと思いながらポカリスエットを飲んで歩く。公園に座ったり、川沿いを歩いたりする。

 

無音だ。高齢者が犬を散歩させている。犬のハァハァという呼吸音と、川の水がコンクリートに叩きつけられる音だけがかすかに聞こえている。世界が止まってるみたいだ。

 

出身地の県庁所在市とかとおんなじ風景だなあ、と思って歩いていた。目新しいものはない。どこもどこかに似ている気がする。高架近くの街は高架近くの街っぽくなるし、道の狭い密集した街はやっぱり道の狭い密集した街になる。東京らしいのは山手線内とか、漂白された学園群くらいなんだろう。少し離れるとただ廃れていくだけの街が見えてかなしい。何十年と風景の変わらない街。外国に行ってみるしかないのかなあ。

 

効率のよい疲れ方を探している気がする。人生の消費だ。人生は炊きすぎた米とかではないはずなのだけれど。

 

地下鉄サリン事件の情報とかを見ていた。当時の海外のものだと霞ヶ関がガバメント、大手町がファイナンス、築地がマーケットと紹介されていてなんか変な感じがする。わりと被害者のひとも当初は事態の深刻さに気づけないみたいだ。目の前でひとが何人も倒れて痙攣していても自分の気分の悪さとは関連付けるのは難しい。正常性バイアスとかで語られる話なんだろうか。調べましょう。

 

スーツのクリーニングを取りに行かなければならない。布団を干したい。ペットボトルを捨てたい。お金を稼がないといけない。積み木を並べるように日々が過ぎていく。

 

 

広告を非表示にする