存在だいすきクラブ

強い気持ち

2017-07-11の日記

洗濯物を干す。冬物や春物をしまうために洗った。布団の上で理由もなく苦しんでいると一日が過ぎてしまう。熱病にでもかかったひとみたいだ。重大な理由はないが、つらい。体を動かしたり、なんらかの使命感を得たりしたほうがよいのだろうと漠然と思う。

 

卵を茹でたりカレーを温めたりしていると生活に必要なことが済まされてしまう。とにかく頻繁に無になる。つねに何か対象に対する思考を持っていることがだいじだろう。なんでもいいのだけれど、小説を読んでもいいし、アニメを見るとか、ゲームをやるとか。とにかく億劫という感じだ。カッコつけなくて言えばめんどくさい。

 

憂鬱が下地となって世界の彩りが落ちていく。青色に統一されていればまだマシで、実際のところは白黒に近づく感じだ。貧血で倒れる前の視界のような日々が続く。続くことはよいことではない。

 

炊飯器のスイッチを入れたり、切ったり、コメを入れたり、そういうことで僕達の人生は終わっていく。とうていボタンを押すことに幸福を見いだせる気はしない。

 

ちょっと硬い心理学の本に「幸福は環境から来るわけではない」ということが書いてある。つらそうな人はだいたいつらそうだし、幸せそうな人はだいたい幸せそうだ。僕達にはだいたい個人設定されたノーマルハピネス度みたいなのがあって、たとえ宝くじを当てようが事故で両足を切断しようがちょっとするとだいたいはノーマルハピネス度くらいに戻るらしい。

 

人間の基本設定をいじりたい気持ちはよく出てくる。僕のアレルギー値は高すぎだし、眠くなる時刻は遅すぎだ。そしてノーマルハピネス度は低い。

 

自分の部屋の八割をゴミ箱に捨てたいなあ、と考えている。のらりくらりやっていったり、人生サーフィンをするのは簡単なことではない。

 

しゃもじに米がこびり付いている。これを落とさなきゃならない。