存在だいすきクラブ

強い気持ち

2017-09-05の日記

夏も病床で死にかけているが、今日は久しぶりに目を開き、付き添い人に喜ばれるような感じだった。

 

つまり少し暑かった。汗ばみ、シャツの胸元の色が変わる。僕は汗をかきやすい体質だ。暑い場所で生まれたからなのか、もしくは小中学校時代に35℃の直射日光のもとで運動を強いられていたからなのか、まあ理由はわからない。

 

昼前に起きてバイトに行く。頭を使うけれど、なんというか頭の単純作業だ。頭の単純作業は精神によい気がする。体の単純作業は思考の余地を残してしまって頭に到来する過去や未来に苦しんでしまうし、頭の複雑作業は単に疲れる。

 

明治期の頭脳労働者はときおりノイローゼとして休暇が取れたようだし、頭を使いすぎるのもよくない。頭の単純作業(たとえば文字起こしとか)は気づかないうちに時間が過ぎて、カラスが羽ばたくくらいの体感時間で8時間とか過ぎる。時間とお金の交換としてはこれが一番いい気がする。僕らが売り渡すのは主観時間なのだが、彼らにとっては客観時間だ。

 

本屋に寄る。待っていた新刊を買い、服を一着選ぶ。欲しい服は無限にあるが、お金がないのでとにかく妥協する。貧困ではないとは財布の中身と残高を意識せずに済むことだ。それくらいのことをいいたくなる気温だ。

 

ツイッターをやめている。別のことに意欲が湧くのはいいかもしれない。遺伝子に組み込まれているだろう認められたいポイントの割り振りだ。ツイッターに割り振っていた認められたいポイントが宙に浮いたので、久しぶりにキーボードをカタカタしてプログラムを打ったり、日記を書いたりしている。認められたいポイントを適切に割り振れば即身仏とかにもなれるかもしれない。彼らには神聖ポイントが見えるのかもしれないけれど。

 

それほど精神が不安定ではない。水たまりに小石が飛んだ程度の波だ。じきに平面に近づくような波。

 

秋が近寄る。車が水たまりを跳ね上げて走っていく音が近くに聞こえる。窓から虫の声は消え、都会の電子機器たちのささやきだけが届く。

 

薬をシートから出すときに親指の爪の先を少し剥がしてしまう。時折の痛みが自分が世界にいることを見せてくれる。そんなときくらいにしか真剣になれない。シャキッとできない。持つところまで火薬の詰まった花火とか、バンジージャンプ。火遊びをしたくなる。僕はぼぉーっとしている。

 

「際限なくダラダラできるタイプですか?」ハイと答えられない自分が悲しい。