存在だいすきクラブ

強い気持ち

2017-09-16の日記

くもり、のち雨。台風が近づいている。

 

六時くらいに起きるが、眠く、昨晩のアルコールが残っているようだった。パソコンを立ち上げ、カーテンを明け、寝る。

 

14時くらいに起きる。グラノーラを食べる。気合でお米を計り、水を入れ、炊飯器のスイッチを入れて、寝る。

 

18時くらいに起きて、ご飯を食べる。冷凍庫をまさぐり、酢豚の冷凍食品を発見するが、賞味期限が去年で、また別の機会に食べることにする。よくわからない唐揚げを食べ、本を読んだりして、今に至る。極めて内容がない一日だ。くたばっていた、と言うのに近い。

 

昨晩、人と会ってアルコールを飲んだが、珍しいくらいにコミュニケーション交通事故だった。5:5とか2:8みたいな責任を分配しあう謎の概念が事故には存在するらしいけれど、それもよくわからず、なぜ事故が起こったのかも両者よくわからない状態だった。雲と蝿の接触事故みたいな感想です。

 

さて、今日は特に何もしていない。ノーイベント、ノーライフ。これは出来事も人生も(大文字の!)存在しないという主張です。

 

日記はできるだけセルアウトにしないと心がけたいと友人に漏らしていたので、そうしたい。可読性は保つが、ウケを狙うわけではない、ということとして表現される気がする。

 

ミサイルが頭上に落ちてこないでほしい、と思う瞬間がこれまであったのかどうか考えている。責任と罪よりも自責感がミサイルを呼び込むのだろう。ミサイル招降の儀。脳内で神主がヒラヒラのついた棒を振っている。安そうな鯛と酒が置かれ、藁でできたミサイルを祀っている。我々の罪はミサイルの炸裂によりチャラになる。メルカトル図法の地図の前で僕らは祝詞を聞く。

 

車が走っては水たまりを巻き上げる音が聞こえている。高い場所に住むと雨粒が何かに衝突する音が聞こえず寂しい。トタン屋根を少しずつ削る雨音は世界が世界を殴りつけているようで、いつまでも聞いていたい音だった。車のワイパーの一挙手一投足、水槽のポンプ音、ブラウン管の立ち上がる音、ゆっくり引かれるバイオリンの弓。AMラジオの雑音。古びたエアコンと冷蔵庫の会話のような音。

 

雨が強くなってきている気がする。風はない。湖の近くに行って、雨が湖面を踊らせる姿を見たい。

 

雨漏りが何かを打つ数を数える。死ぬまでに残された日々とどちらが多いだろうか。

 

眩しさに瞬きをするような光を見たい。