存在だいすきクラブ

強い気持ち

2017-10-26の日記

晴れか雨か分からない。寒いか暑いかもよく分からない。布団に入っては眠り、起きてはご飯を食べ、眠る。

 

退院したものの、身体は健康とは言えない。ダルさ、倦怠感、眠さ、が残る。入院が続いているような感じ。ベッドが自室に移っただけだ。看護師さんの検温もなければ、定期的な食事の提供もない。隣のイビキや独り言もないが、快適になった気もしない。どこにいても一人は一人だ。

 

人間はどこにいても入院しているようなものだという気がしてくる。どこにベッドを置くかが違うくらい。僕はハワイとかタヒチ、もしくは北欧の人里離れた山小屋にベッドを置きたい。そしてそこに行っても別のところに行きたいと叫ぶだろう。

 

病院内の移動制限も似たようなものだ。僕はギアナ高地に行けない。お金、時間、体力がないからだ。南極にもいけないし、スイスにさえ行けないだろう。月にも行けない。自由は度合いの問題だ。人間はご飯を必要とする。点滴は引き延ばされた食事みたいなものだ。引き連れる点滴棒は食糧を背負うのと似ている。入院はいつもは隠されている人間の弱さが明らかになる場でしかなく、入院した人間が特別に弱くなるわけではない。

 

ベッドでの孤独。けっきょく人は二人で眠ることはできない。意識を共有することができないように。一つの人生を二人で生きることができないように。そしてベッドで一人眠るハメになる。それは入院と同じだ。入院とそれ以外との違いは、健康をアウトソーシングするかどうかの一点だけな気がしてくる。

 

儀式のように薬を飲む。病気が治りかけのとき、時間は救済が近づくことを予告するものとなる。僕はずっと治りかけでいたいと思った。