存在だいすきクラブ

強い気持ち

2017-11-01の日記

日記を書くという行為で最もめんどくさいのは文字を打ち込むということで である しかしながら google はこのように言葉で打ち込むということを開発した なかなか精度も良いしたがってこれによって自動引きが可能であるということである 例えばフロイトなどが経営者を雇って延々とそいつに欠かせていたという話もあるし タイプライターというものはもういらなくなった高校コングでは しかしながらどちらかと言うと言葉を選んで喋るということをしないといけないのでこれもまた難しいと思う 昨日は本を3冊買った一つは小説一つは何と言うか圧力的な覚悟でありもうひとつハコてんだ もう一つは来てんな それと最近は音楽の興味をもう一度やっている 少しずつわかってきたがやはり何と言うか一般的に使用頻度が少ないで単語がなかなか変換されづらい そして僕のいつもの語りというのは僕は書くことよりもよほどさらに文章的であることがわかる我々は文語的に喋るのであって これは何と言うか まあ症候と言うか湿布シンプトムと言うかそういった気がする ひとつ気がかりなのは僕の部屋に今腐りそうなみかんがみっつあるということで転びつか食べらない食べないといけないと思うがそこそこを美味しくないということはもうすでにわかっているものであるものそこそこ美味しくないというものを消費しなければならないということを諦めてまあなんと言うかめんどくさいと言う彼はひとつの事象的な行為だってのにやりたくないなと思っていた 自傷的な行為というものが自傷的な行為という風に変えられるというのは何とかしさ的な気がするが 例えば google のこの変換はとてもすごいものだってたとえば表象的実在性といった専門的用語も悪い時に変換してくれる 例えばどうだろうか超越論的弁証論とかを変換してくれるのだろうか2巻しました うんそうなの そういえばアマゾンプライムビデオに魔界転生があったと思うんだけど そういえば最近甲賀忍法帖を読み直した 人間の想像力というのはやはり限られたもので我々はキマイラのように一つ一つに何かを結合させたり connect をさせたりすることでしか新しい生き物ものを見つけることはできないのだろう 事象と言えば人の自称に加担して人を殴ったことがあるが あれはどちらかでと自分が目的ではなく手段になったという感じでまあなんと言うか 主体性が失われるというのはひとつのかいらくではあると思う この辺はバター入れとかに詳しい人に聞いてみたいが 人間が物的な存在になるということは ひとつの手っ取り早い方法というものが暴力の総観光になるということであって そういえば忘れてきて我がこれはただの日記であった日記的なことを言おうと思う 確か昨日は晴れだった 少し寒い ジャケットやパーカー一枚だと少し物足りないと言うか僕も守ってくれないならというような天気で セーターが欲しいなと思うような一日だった お昼ご飯は寒いを食べた気がする サブウェイです その後バイトをした 治安の悪い街を通ったところ どうやらアジア系っぽい人に want money want money と聞かれたので 僕は yes と言ってその場を離れた 確かにお金は欲しい 皆お金の欲しがっているだろう 人々は皆お金に縛られておりその意味で皆自由ではないと思われるがそもそも生活を続けるということによって それは生じたのであり例えば狩猟採集生活であったとしてもご飯を取りに行かなきゃなったとか他の人々と一緒に暮らさなきゃなーとかそういうものがあるわけで まあとにかくシート生活をやめるというものが遠いであるというふうに考えてしまうようなそういったよくあるような日々だなぁという一日が そして塩そばの有名店に行った 水着の初音ミクのフィギュアが飾られておりまー大丈夫かなと思ってご飯を食べていたがボーカロイドの cd と葛藤を僕のよく知らないアイドルと思われる曲がずっと流れており まあそういう趣味かなという感じもある近くにいかつい髪に仕上げてくれる美容院があって多分主人もそこで切ってるのだろういかつい感じの顔なのだが しかし気弱な声だった まあ我々は そういった感じだ何事も 彼に何か言うことあるだろうかとりあえず他の人はあまり見ないような柄のパーカーを着たいという気持ちがあって 何か他の人がデザインしたようなインターネットっぽいパーカーが欲しいなあというのを考えている あとそれぐらいだろうか それ以外特に考えたことはないような気がする とにかくを他の人にもよく忠告されているがインターネットを介しても実証を辞めたいということを考えている 例えば自分は面白いとは全く思っていないが受けそうなツイートをやってみてまあそこそこ伸びたところで消すと言ったり こういった行動は他の人のものを何と言うか死んだよ 僕から他の人に対する信頼というものを失わせるつまり人間一般に対する信頼度というものを著しく損なわせる行為やって まあ明らかに止めた方が良い 世界との設置で有用なのはどちらかというと 世界全般に対する診断や振興であって とにかく今は何と言うか信頼するとか信じるといったものが 有用なわけだ 神を試してはならないしまあそんな感じで世界お試しはならないということだろう それぐらいかな とにかく日記をこのように書いてみる 日記は続けることがひとつの意味がある そして一回生と言うか一つの子編集されていないデータを残すというのも一つの意味があると思う確かに解像度が下がったりもしくは成立性がある日下がったりするかもしれないが この編集を加えない人流れの語りというものはある程度面白みを産むかもしれない まあ整理されていない情報を受け止めるということが そのストレスに対して意味があるものだとはなかなか考えられないが 成文化された自分の考えというものを認めなかったソクラテスはテープレコーダーを認めるだろうか