存在だいすきクラブ

強い気持ち

2017-11-03の日記

晴れ。小学生が水彩絵の具で塗ったような空だ。飛行機がビルの隙間に見えるが、飛ぶというよりも浮いているように見える。

 

昼からバイトに行く。きわめて追い詰められた気分だ。バイトは別にわるいことはない。むしろ自己効力感を生むのでよい気がする。それよりも、もっと根本的な、世界との触れ合い方の問題というか、自分では切り替えることのできない色付きシートを目に貼られているような感じで調子がわるい。

 

入院、というか病んだことで体質が変わっているような気がする。乳製品が大丈夫になったようだ。コーヒー牛乳でお腹を壊さない。同時に割り算が苦手になっている気がする。とにかく人間というか環境が理性でコントロールできるとは考えるべきではない。ウイルスや点滴一本が性格や能力を変えても不思議ではない。寒波が飢饉を生み、大戦を育て、見返すと思想が見えるように。とにかく自由意志や人格の仮定を仮定以上に捉えるべきではない。そんなことを言っていると全ては仮定だろうと言われてしまうのだけれど。

 

僕はずっとずっと一人で生きていくと思ってるよ、という気分で街を歩く。寿司なんて食べようかとか自暴自棄の気分だ。自暴自棄にならないと寿司を食べられない身分を卒業したい。自暴自棄になると途端に街中に飾られた服なんかが光りだす。資本主義は自暴自棄の社会だ。15万円を身にまとえば気分も晴れるだろう。それを僕は2週間の三食看護師付きのベッドに使った。あるいは温泉に使ったほうが有意義だったかもしれない。有意義性は死の前で無力だ。

 

さて、結局のところ牛丼屋で晩御飯はすませた。食べたというより済ませたが適切です。僕は人生を少しずつ済ませていく。人生はトロフィーコンプリートでもないし、ミッションクリアでも、お使いクエストの集合体でもないと誰かは言うけれど、それであったほうが五倍くらいはらくだっただろう。デバッグ者たちは今日もまた人生の壁がすり抜けられないかと壁に向かって幅跳びを繰り返している。僕は座り込んでそれに加わろうかどうしようか迷っている。ステージタイマーは少しづつ回り、時間切れがあったことに気づくだろう。僕はまだ迷っている。

 

さて、どうしようか。やる気を出す同盟などを組みたい。喫茶店に集まってやる気を出すだとか、川を見に行ってやる気を出すだとか、とにかくやる気を出す。もしくは人生を投げわたす。高い城の男に出てきたように占いに投げるだとか、あるいは神社のおみくじだとか、それに従うわけだ。自らの脳みそは十分な確率発生器ではない。この宇宙がどうなのかは知らない。ミクロにはそうだろうが。

 

なにか人生に衝撃がやってくることを日々期待している。隣の空き地から野球ボールが飛んできて窓を割ってしまうような。突然の入院は別に僕に驚きをもたらさなかった。まあこういう語りに対する返答はだいたい決まっているだろう。まずお前からやれ。空き地の隣で日々飛んでくるボールを期待するのではなく、僕が空き地から隣の家にボールを打ち込まないといけないのだ。そんなことは生まれた瞬間から分かっている。祈らないことが重要なのだ。