存在だいすきクラブ

強い気持ち

2017-11-04の日記

晴れ。午後に雨が降る。予報はずれ。洗濯物をいそいで取り込む。部屋干しになってしまう。部屋干しの語感から言えば畳干しは畳の中で洗濯物を干す気がする。

 

退院した病院に行き、検査を受ける。血を抜いたり。痛みは起こる場所を目で見ると増えるらしいとどこかの学術書で読んだので全力で目を背ける。カッコつけたがりなので昔から注射器の針の先を思いっきり見つめていたのだけれど、やはり見たくないという直感的な気持ちは正しさの基盤があるらしい。しかし血は黒いなあ。赤い気はしない。

 

尿検査もやる。僕はこれが苦手で、いつも出ない。ペットボトルを買ってきて、飲み干し、出るかと頑張るが出ない。やっとちょっの出たので要求量ギリギリで出して、30分後くらいにトイレに連続で駆け込むことになる。要はバカだ。これをいつもやる。今日はできる気がするから。

 

検査値は標準に収まっていた。つまりある程度は健康を取り戻したということで、もちろんそんな主観的に晴れやかな気持ちになるだとか、人生に光明が差すとか、さあ、仕事を頑張るぞ、みたいなハッピーエンドがやってきてエモーショナルなギターの音が始まるなんてことはなく、なんとなく気怠い気持ちが続く。そうですか、と答え、終わり。

 

しかし少し心の荷物が下りたのは確かだったみたいで、髪でも切るか、という気になる。眉毛もめちゃくちゃほったらかしにしておいたし、まあプロに任せようとおもう。任せた。だんだんと流行りの感覚と幼少期のセンスが思いっきり乖離してきているわけで、どうもピンとこない。そもそもピンとくるって何だよ。何がピンとしているのだろうか。いまだに美少女の判定基準が2000年前後のモーニング娘であることに気づいてたまに愕然とする。

 

世の中にはたくさんの髪を切る場所がある。僕の出身地はそこそこの田舎で、町内に物を食べる場所はなかったのだけれど、歯医者と髪切りやさんは複数あった。まあ自分ではできないことになっている2つだからだろう。それにしても髪を切る場所は多い。人間が髪が伸びる生物でなければ失業率はいまより高かっただろうなんておもうけれど、人間は差異化チャンスを見つけるのがうまいから、そうでもないのだろう。その歴史には爪の七三分けとかがあるかもしれない。

 

お酒を飲もうと決めていた。そして泥酔しようと。ここのところ病気・入院・治療でずっと飲んでいなかったからだ。一口目、たいへんおいしくない。正確には飲みづらい。こんなものを飲むひとはどこでも生きていけるだろうよ。そして酔わない。お酒に強くなったというよりも、入院で副次的に肝機能が回復したのだろう。入院はひとを健康にする。すごい。

 

それで泥酔できていない。アルコールはまずいし酔わないしで、だ。もっと感情的な日記を酔って書くつもりだったのだけれど、感情的な気持ちは乗らない。

 

ブログの書きかたが分からないので検索したら「感情を入れよう」と書いてあった。無感動。だるさ。うすもやのような好奇心。うーん、まあ適当にやる。

 

そうだなあ、世界に怒りが湧いてこない。だからやる気も学問する気も起きないのだろう。論争を見ても「やってるなあ」「仮定と目的がずれてる」くらいしか思わない感じだ。新奇なものはだいたいクソリプからやってくると偉大とされる哲学書たちは示しているけれど、怒りやすくなるようにすればいいのかもしれない。カフェインを入れまくるとか。

 

今日はわりと日記らしい内容だった。文章は面白くないだろうけれど気を張らないでかけている。今日はまあどうにかなるさの日。助けてと言いたくても言えない日が来なけりゃいいけどねえ。助けてと言えばいいのでは。調子がいいときはそう思えるんだけどね。